「海の上のピアニスト」 1999年/アメリカ、イタリア/2時間5分
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 時代は、今から遡ること100年。大西洋を往復する豪華客船に、一つの伝説が誕生しました。それは、ダンスホールのピアノの上にあった、レモン箱の中に置き去りにされている、生まれたばかりの赤ちゃんでした。それを発見した機関士は、その子の生まれた年にちなんで、ナインティーン・ハンドレッド(1900)と名づけ、船底の中で育てられました。彼は、その後も一度として、船から下りることなく、豪華客船の中で育ち、あるとき、ふとした才能を開花させます。それは、楽譜を読まずに即興でピアノを弾くことでした。

 まず、物語は、とある楽器店で、思い入れのあるトランペットを売ろうとする男性(マックス)のシーンから始まります。しかし、そのトランペットを、思った以上に安く買い上げられ、酷く落ち込むマックス。渋々と店から出ていこうとする彼は、店主に、最後にもう一度だけ、トランペットを吹かせてくれと、お願いします。そして、胸中の思いを込めて演奏する彼のメロディを聴いた店主は、ふと何かを思い出し、ある物を探し始めました。それは、一度、砕けてバラバラになった破片を、繋ぎ合わせた1枚のレコードでした。店主は、そのレコードを取りだし、曲を流し始めます。その曲はピアノで奏でられていました。そして、マックスは、この曲を演奏した一人の伝説を語り始めるのです。

 マックスは、豪華客船のトランペット吹きとして雇われ、就航したその晩、嵐に襲われると、その酷い揺れに、船酔いしてしまいます。そのとき彼は、初めてナインティーン・ハンドレッドと出会います。「ついておいで」とナインティーン・ハンドレッドは、彼をダンスホールへと誘います。酷い揺れの中で、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしながら、ダンスホールへと向かうマックスと、この揺れをなんとも感じず、すたすたとピアノへ向かうナインティーン・ハンドレッド。ちょっとしたコメディタッチに、観客から笑い声も漏れました。

 伝説のエピソードは、これだけではありません。彼のピアノ演奏の評判は、「まるで4本の手を持っているかのような演奏」として、船を下りた客たちによって広まり、やがて、ジャズの創始者ジェリー・ロール・モートンの耳にも入ります。彼は、ナインティーン・ハンドレッドに勝負を挑みます。それは、互いに難曲を披露し、どちらが凄腕であるかを決めるというものでした。1曲目から、ただものではない技を披露するジェリー・ロール・モートン。それに対して、「聖この夜」を弾くナインティーン・ハンドレッド。2曲目の演奏では、ジェリー・ロール・モートンの弾いた曲とまったく同じメロディを奏で、まるで試合放棄しているかのようでした。…ところが、3曲目、ナインティーン・ハンドレッドは、彼本来の演奏を披露しはじめました。4本の手をもっているかのような…という噂は、事実であることを、ジェリー・ロール・モートンに見せつけたのです。ピアノの演奏が終わった後、ピアノ線に煙草を近づけると、着火するというほどに、彼の演奏は猛烈なものでした。ダンスバトルならぬ、ピアノバトル。この作品の中で、最も興奮を覚える場面でした。

 このシーンを鑑賞しているときに、とても印象に残ったのは、隣で鑑賞していた女性のちょっとした行動でした。彼女は、二人の名演の後、小さく音を立てないように、そっと拍手していたのです。そのふとした出来事に、私はちょっとドキッとしてしまいました。作中では、彼のピアノ演奏で、乗客が踊り出すシーンが描かれています。このとき、私も体を動かしたい衝動に駆られました。それなのに、じっと映画を見ていなければならないかと思うと、映画の中の乗客に対して、「自分ばっかりずるい」と、ひとこと、愚痴をいいたくなりました。それだけに、とても、もどかしい気持ちでした。

 この後、あるレコード会社の男が訪れ、ナインティーン・ハンドレッドの曲を、レコード録音しようとします。録音機を不思議そうに見ながら、演奏を始めるナインティーン・ハンドレッド。そのとき、その部屋の窓越しに、一人の少女の姿が、目に映りました。彼の音楽は、二度と奏でられることのない即興曲ですが、このとき、彼の演奏の曲調は、彼女をイメージしたものへと変化していったのです。ところが、演奏を終えると、そのレコードから流れる曲を聴き、彼は、自分の演奏していないところで、自分の曲を聴かれたくないとして反発し、それを取り上げてしまうのです。

 そして彼は、その録音したレコードを、そのイメージともなった少女に渡そうと決心します。このとき、ナインティーン・ハンドレッドは、最初で最後の恋を実らせたのでした。このレコードは、冒頭で語った、楽器店で流れたレコードそのものでした。何故、その店にレコードがあったのか、そして何故、一度、粉々に砕けることとなったのか…。それは、一度、この映画をご覧になってほしいと、ちょっと勿体つけておくことにします。

 一方、少女との恋は、長く続くものではありませんでした。何故ならば、彼女は、目的地に到着すれば、下船してしまうのに対して、ナインティーン・ハンドレッドには、陸地に降り立つ理由もなく、また、陸地に降り立ったところで、行くべき場所もないからです。ピアノでの決闘で興奮を与えてくれた私達は、この後、儚く切ない恋で、悲しみを抱くのでした。彼は、トランペットのマックスをはじめとするバンド仲間たちと共に、ダンス曲を演奏するという場面が、幾つかあります。このときは決まって、バンド仲間の曲から外れ、彼のピアノは独り暴走しだすのが常でした。ところが、少女との別れの後には、もう暴走することは、ありませんでした。それは、彼の胸中に、一つの決心が生まれ、心境に変化を及ぼしたからなのだと思います。

 それは、とある食事中の出来事でした。ナインティーン・ハンドレッドは、マックスに、「陸から海を見てみたい」と告白したのです。マックスは、先日の少女に会いたいからなのではないのかと、その理由を正そうとしますが、彼の返答は、的を射たものではなかったように感じられました。ここは、観客によって意見の異なるところとなりそうです。そして、とうとう客船から陸地へと続くタラップを、一段一段下りながら、あと少しのところで、陸地へ踏み出そうとしたとき、彼は足を踏みとどめてしまいます。そして、暫くして彼は…。このとき、足を踏みとどめた理由は、後半、彼本人の口から語られることになります。

 この物語は、決闘、恋愛、友情を、違和感なく詰め込んだ作品であると、私は感じ、そして感動を得ました。やがて、マックスとの永遠の別れが来る日、ナインティーン・ハンドレッドは、何故、タラップの半ばで足を踏みとどめたのか、その理由を、マックスに語ります。その言葉は、今も尚、私の記憶に残っています。彼の人生は、全てピアノで例えられるものでした。ピアノの鍵盤には、88のキーしかありません。しかし、この88という有限の中から、人は無限の曲を生み出し、そして演奏することが出来ます。しかし、タラップから望む大都会は無限に広がり、彼にとってはとても巨大な世界でした。彼には、豪華客船とピアノという世界だけで、それ以上のものは必要としなかったのです。富も名声も。彼は、最後に、マックスの誘いも願いも、受け容れませんでした。マックスは、自分と違う人生を歩んできたナインティーン・ハンドレッドのことを思うと、涙を流さずにはいられませんでした。

 楽器店でかけたレコードには、そんな思いをたくさん詰め込んでいました。そして、彼の売り払ったトランペットには、楽器そのもの以上の価値を有していたのです。店から出ていこうとする彼に、店主は、一度、買い取ったトランペットを差し出します。彼の人生には、まだトランペットを必要としていたことを、店主は悟ったのでしょう。そういえば、ナインティーン・ハンドレッドは、マックスに、こうも言い残しています。「いい物語があって、それを語る人がいる限り、人生、捨てたもんじゃない」

監督
 ジョゼッペ・トルナトーレ

キャスト
 ティム・ロス         ナインティーン・ハンドレッド
 プルート・テイラー・ヴィンス マックス
 メラニー・ティエリー     少女
 クラレンス・ウィリアムズ三世 ジェリー・ロール・モートン
 ビル・ナン          ダニー・ブードマン
 ピーター・ヴォーン      楽器店主
 ナイオール・オブライアン   港湾のチーフ
 ガブリエレ・ラヴィア     農夫(アコーディオンを持った男)
 アルベルト・ヴァスケス    メキシコ人技師
 ハリー・ディッスン      船長
 イーストン・ゲイジ      ナインティーン・ハンドレッド(4歳)
 コリー・バック        ナインティーン・ハンドレッド(8歳)

参考
 ・株式会社インプレス MOVIE Watch
 ・「海の上のピアニスト」公式サイト
 ・「海の上のピアニスト」パンフレット