F1 Grand Prix 第11戦 ドイツ

 F1グランプリ第11戦は、フランクフルトから南へおよそ90キロ、ドイツ南西部に位置する、ホッケンハイムリンクでおこなわれました。ホッケンハイムリンクは、F1グランプリ全戦を通しても、有数な高速サーキットとして知られています。1周は6.825キロメートルと割りと長いコースに、1600メートル、1100メートル、1150メートル、1000メートルと、4本のストレートで構成されているのが特徴です。特に、1600メートルのストレートエンドでは、時速350キロメートルを超え、ハイスピードバトルの展開を楽しめます。周回数は45。総走行距離は、307.125キロメートルです。

 ただ、F1グランプリ開催期間中は、あいにくの雨模様となってしまいました。予選中では、雨が振り出したことにより、道路が乾いているうちに、良いタイムを出そうと、ドライバーは、一斉にタイムアタックを始めるということもあって、決勝戦を前にして、大混戦を呈していました。

 予選順位の結果では、クルサードがポールポジションを獲得しました。フロントロウには、ミハエル・シューマッハが並びます。雨の予選で、好タイムをマークしたフィジケラは、ベストグリッドの3番手。あまりウェットコンディションを得意としないハッキネンは4位。そして、一番の驚きは、雨のレースに強いとされているバリチェロが、18番手という、後方からのスタートになってしまったことです。これでは、ミハエル・シューマッハーを援護することも、マクラーレンを牽制することも出来ません。

 決勝戦直前は、今にも雨が振り出しそうな気配でした。各チームとも、雨の降る確率は50%を超えるだろうと予想する中、スタート時は、全車とも、ドライタイヤを選択していました。

 …そして、決勝戦スタート。まさか、また、こんなことがあるとは…。なんと、前ラウンドのオーストリア・グランプリに続き、またしても、ミハエル・シューマッハーは、後ろから追突され、1コーナーでコースアウトしてしまったのです。今回、ミハエル・シューマッハーを後ろから襲ったのは、ベネトンのジャンカルロ・フィジケラ。ポールポジションからスタートしたクルサードは、2番手のミハエル・シューマッハーに、ラインを取られまいと、シューマッハーの行く手を遮った結果、ミハエル・シューマッハーは行き場をなくし、左にラインを変えたものの、フィジケラは、そのとき既に、加速状態だった為、ペースの上がらないシューマッハーを、後から追突してしまったのです。

 一方、4番手スタートのハッキネンは、見事なスタートを決め、1コーナーではトップに踊り出ます。クルサードの方は、2位と順位を一つ落としたものの、マクラーレンのワン・ツー体勢を早くも形成。これでは、オーストリア・グランプリの二の舞です。18位からのスタートとなったバリチェロは、周回を重ねる毎に順位を上げ、5位に浮上します。彼は、スタート時の燃料を少なくすることで、車体重量を軽くし、他車よりも、速いパフォーマンスを発揮させ、上位進出を狙ったのです。このサーキットは、1ストップよりも、2ストップの方が、若干、有利とされていますが、その差はたったの8秒。8秒程度では、2ストップを選択するメリットは得られません。もしかすると、ピットアウトしたことによって、後方グループなどの周回遅れに捕まり、ペースを落とすことも充分に考えられます。そういったことから、ほとんどのチームは、1ストップ作戦を選択。つまり、その分、燃料を多く積載していることになります。2ストップ作戦を選択したバリチェロが、5番手に浮上できたのも、こういった思惑がありました。

 そして、遂に、15周目にして、バリチェロは3位にまで昇り詰めます。前方を走るのは、マクラーレンの2台。まず、13秒前方に、クルサードがいます。しかし、他車よりも燃料を少な目に積んだバリチェロは、そろそろ、燃料再給油に向かわなければなりません。1回目のピットストップは、7秒2。一時は3位まで浮上したバリチェロも、ここは、7位に順位を落とさなくてはなりません。さすがに、果敢に攻めたバリチェロといえども、マクラーレン勢に追いつくのは至難でした。

 …ところが、そのバリチェロとマクラーレンとの28秒ものマージンを、一気に詰めるハプニングが起こりました。それは、「マン・イン・トラック」。なんと、コース上に観客が1人、入り込んできたのです。長年、解説している、今宮純さんも、「こんなのは初めて」とコメントしたぐらいですから、私自身、「こんなことがあるんだ」と、驚きました。その観客の目の前を、時速350キロメートルを超すマシンが、通り過ぎていきます。大変、危険な状態です。もちろん、F1グランプリの運営スタッフは、セイフティーカーを出動させ、各マシンは減速を余儀なくされます。この間に、ハッキネンはピットインし、最初で最後のタイヤ交換と燃料再給油を済ませてしまいます。ところが、クルサードは、ピットインするタイミングを遅らせてしまいます。彼は、ピットからの無線交信をうまく聞き取れず、セイフティーカーがコース上にいることには、全く気がつかなかったのです。このサーキットは、1周の距離が長いこともあって、ピットインするタイミングを1周遅らせただけでも、レースに大きく影響を及ぼします。遂には、この椿事を利用して、バリチェロは3位に前進、一方のクルサードは6位と後退する羽目になります。

 どうやら、このサーキットに侵入した男は、健康上のことを理由に、22年間勤めたメルセデスを解雇されたフランス人らしく、それに抗議するためにこのような行動を起こしたということです。彼の抗議行動がなければ、メルセデスエンジンを搭載した車を操る、ミカ・ハッキネンが、間違い無く優勝を飾っていたことを思うと、皮肉にも彼の復讐は成し遂げたといえるでしょう。

 29周目に、レースは再開となったものの、その直後、ジャン・アレジとペドロ・ディニスの接触事故により、もう一度、セイフティーカーが出動します。残り周回数も15周となったところで、予想されていた雨が降り出してきます。このときの順位は、1位にミカ・ハッキネン、2位にトゥルーリ、3位にバリチェロ。

 この雨は、ホームストレートでは、大変、強く降り、マクラーレンは、ミカ・ハッキネンにレインタイヤへの交換を指示します。…ところが、いつまでたっても、バリチェロは、ピットインする気配を見せません。なんと、彼は、残りのラップを、ドライタイヤのまま、走りきることを選択したのです。こんなことを考えつくのは、雨を得意とするバリチェロ以外には有り得ません。ただ、彼には思惑があったのです。それは、雨が、コース全体にまんべんなく降っているのではなく、ホームストレートだけに留まっている、という点にです。4本のストレートは、ほとんど雨の影響を受けておらず、ホームストレートでは、ペースを落とさなければならないものの、高速セクションでは、問題なく、通常のペースで走行することが出来たのです。その為、レインタイヤを装着したハッキネンと、ドライタイヤのまま走行を続けているバリチェロとのタイム差は、ほとんどなく、ピットインした分、ハッキネンはタイムをロスしてしまったことになるのです。

 そのギャンブルともいえる決断を下したバリチェロに、追いすがるのは、クルサードでした。彼も、ドライタイヤのまま、走り続けていました。しかし、バリチェロのレインコンディションにおける走りは、誰にも真似できるものではありません。とうとう、クルサードも、我慢できず、レインタイヤに履きかえることを決断します。既にタイヤ交換済みのハッキネンは、その後、差を詰めるものの、4本のストレートの路面は、ほとんど、ドライ状態。雨の範囲が広がっていく様子はありません。

 遂に、バリチェロは、F1グランプリに参戦してから、124戦目にして、初優勝を獲得しました。さすがのマクラーレン勢も、ワン・ツー・フィニッシュを飾れず、2位にハッキネン、3位にクルサードが精一杯でした。バリチェロは、予選18位からの追い上げで優勝しましたが、予選後方グリッドからの優勝ドライバーとしては、歴代2位の記録になるそうです。歴代1位の記録は、1983年、マクラーレンに所属するワトソンが記録した、最後尾の22位です。

 ミハエル・シューマッハーは、今回もノーポイントに終わり、56ポイントと変わりません。しかし、バリチェロの優勝のおかげで、マクラーレンは、ドライバーズポイントでの逆転を果たせず、クルサードとハッキネンともに54ポイントと、2ポイント差に詰め寄るのが精一杯でした。次戦、F1グランプリ第12戦、ハンガリー・グランプリは、8月13日に決勝戦がおこなわれます。