F1 Grand Prix 第7戦 モナコ

 人口3万人のモナコ公国の中にある、モンテ・カルロ市街地コース。第58回目となるモナコ・グランプリは、F1グランプリ全17戦の中においても、大変、格式の高い、伝統のあるレースです。ここでの優勝は、他のレースの5勝分に相当する価値はあるといわれ、モナコ公国内では、貴族同等の扱いを受ける、といわれています。1周、3.367キロメートルと、全17戦の中では、最も短いコースではあるものの、市街地コースということもあり、ストレートはほとんどなく、道幅は狭く、低速コーナーの多いサーキットです。このサーキットを、78周します。

 特に、このモナコ・グランプリでの優勝の多かったドライバー、グラハム・ヒルとアイルトン・セナは、「モナコ・マイスター」という、大変、名誉のある称号が与えられています。そして、現役ドライバーで、その輝かしい称号を手にしているのは、ミハエル・シューマッハー。その、現役モナコ・マイスターのミハエル・シューマッハーは、その称号に相応しい、ポールポジションのシートを獲得。フロントロウには、ジョーダンのヤルノ・トゥルーリ。マクラーレン勢は、3位にデビッド・クルサード、5位にミカ・ハッキネンと、抜きどころの少ない、このサーキットでは、かなり不利な位置からのスタートとなりました。

 天候は、晴れ。気温24℃、路面温度は42℃。ブリジストンの用意したタイヤは、エクストラソフトという、大変、軟らかいタイヤと、少し硬めのソフトタイヤの2種類。ほとんどのドライバーは、エクストラソフトのタイヤをチョイス。ただ、このタイヤには、変わった性質があります。それは、新品のエクストラソフトを装着して走行した場合、3周目〜7周目ぐらいまでは、アンダーステア(ステアリングをきっても、思った以上に車体が曲がらないこと)が強くなり、しばらくすると、また元に戻る、というものです。ドライバーによっては、その特質を知った上で、敢えて、事前に10周程度、走り込んだものを、決勝戦で使用する、ということもあります。

 決勝のスタートから、既に、波乱に満ちていました。まず、最初のスタートでは、ベネトンのブルツのトラブルにより、レースは仕切りなおしとなってしまいます。そして、2度目のスタートでは、スタート直後、赤旗が降られてしまいます。赤旗が降られると、レースは中断、再スタートということになります。赤旗が降られるケースのほとんどは、スタート直後、22台のマシンが、一斉に1コーナーをめがけて突入していく為、マシン同士の衝突も多発しやすい傾向にあり、この場合、とてもレースを続けられる状況ではない、と判断された場合は、赤旗が降られます。しかし、このときのスタートでは、1コーナーでの、マシンの衝突はなく、各車、大変、スムーズな立ち上がりでした。どうやら、スタートのタイミングを司るコンピュータのエラーだったようです。どちらにしても、その直後、ロウズ・ヘアピンでは、ペドロ・デ・ラ・ロサのスピンによって、バトンと衝突してしまい、この2台のマシンによって、道路は塞がれ、赤旗再スタートにならざるを得ませんでした。

 そして、3度目のスタート。3度目の正直という言葉通り、今度こそ、レースは開始されました。1コーナーでのトラブルもなく、ポールポジションのミハエル・シューマッハーも、危な気なし。1周を終えたときには、既に、2位のトゥルーリとは、2秒3も引き離していました。一方、3番手のクルサードは、その前を走るトゥルーリに、また、5番手のハッキネンは、フレンツェンに行く手を遮られ、前に出ようにも出られない状態となります。先にも述べたとおり、このサーキットは、全くといっていいほど、抜きどころはなく、前を走行する車よりも、2秒〜3秒も早いペースで走行できるマシンであっても、追い越すのは、大変、難しいのです。それだけに、予選の順位が勝敗に大きく影響するレースともいえるのです。

 おそらく、ジョーダン勢(トゥルーリとフレンツェンの所属するチーム)は、燃料を、ほぼ満タンにした状態で、決勝に望んだものと思われます。燃料を積載した分、車体重量は重くなる為、速度は落ちてしまいます。しかし、モナコ・グランプリならば、それでも、後続の車に交わされることは、ほとんど無いと判断したのでしょう。周回を重ねる毎に、ミハエル・シューマッハーとの差は広がっていきますが、今の自分の順位をしっかりとキープできれば、それで、満足という、顕れも感じ取れます。

 ほとんどのマシンは、レース中に、1回だけ、タイヤ交換と燃料給油をおこなう、1回ピットを選択しています。ピットロードでの制限速度は、昨年の80キロよりも、更に落ち、60キロメートルとなったことにより、ピットワークによるロスタイムは、平均26秒とされています。それでも、実のところ、理論上では、2回ピットの方が早いのです。では、何故、1回ピットを選択するのか? それは、バックマーカー(周回遅れのマシン)に、行く手を阻まれることを、念頭においているからなのです。周回を重ねると、先頭の車は、後方の車に追いついてしまいます。いわゆる、周回遅れです。バックマーカーは、規則として、先頭のマシンに道を譲らなければなりません。しかし、モナコ・グランプリでは、道幅も狭く、コーナーも多いことから、道を譲るタイミングも難しく、直ぐに、5秒〜6秒はタイムをロスしてしまうのです。その分、後続の車に追いつかれる可能性もある為、このサーキットでは、出来るだけ、ピットインする回数を減らさなければいけないわけです。

 レース中盤、ぴったりと後についているクルサードのプレッシャーにも耐えながら、2位をキープしていたヤルノ・トゥルーリは、マシントラブルの発生により、敢え無くリタイア。貴重な2位の座を、クルサードに譲ることになります。このとき、1位を走行しているミハエル・シューマッハーとは、既に、34〜35秒もの差をつけられていました。…ということは、ミハエル・シューマッハーは、ピットインして、タイヤ交換と燃料の再給油に、26秒程度のタイムをロスしたとしても、順位を落とすことなく、クルサードの前に、出られるという計算になります。ミハエル・シューマッハーは、50周目に、ピットインし、7秒7という順当なタイムで、作業を終え、クルサードの6〜7秒前でコースに復帰します。

 ここまでは、モナコ・マイスターの一人舞台でした。しかし、レースも、中盤から終盤に差し掛かろうとするところ、ミハエル・シューマッハーの磐石な走りにも、終わりを告げるときがきます。56周目、シューマッハーのマシンは、突如、スローダウン。後続のマシンに、道を譲らなければならない事態に陥ります。よく見ると、左リアのサスペンションが壊れ、右フロントのタイヤは浮き、空回り状態になっています。かろうじて、ピットには戻ったものの、サスペンションの疲労は、すぐに修理できるようなものではなく、リタイアとなってしまいます。そして、クルサードが、代わってトップに立ちます。

 今回、モナコ・グランプリ全体を通して、1コーナーでのウオール激突が相次ぎました。サント・デボートという名のついた、この1コーナーは、ほとんど直角のコーナーで、出口も狭く、速度もかなり落とさないと、曲がりきれずに、ウオールに激突してしまいます。ラルフ・シューマッハーは、ここで、充分に減速できず、ウオールに激突。左足を傷める事故となりました。レース終盤では、表彰台入り目前のフレンツェンも、この魔の1コーナーで、リタイアしてしまいます。

 そして、この魔の1コーナーの罠に巻き込まれることなく、78周を走りきったものが、このレースの勝利を獲得した、ということになります。デビット・クルサードは、地味な走りながらも、一切のミスを起こさなかったことから、栄光あるモナコでの勝利をものにすることが出来ました。2位にバリチェロ、3位にはベネトンのフィジケラ。次回、F1グランプリ第8戦は、一旦、ヨーロッパから舞台を、カナダ、モントリオールへと移します。決勝戦は、6月18日です。