「マキアヴェッリ語録」 塩野 七生:著 新潮社

 当レビューにおきましては、「マキアヴェッリ」では、発音しづらいことから、ここでは、「マキャベリ」という言葉に代えさせていただくことを、ご了承ください。

 マキャベリは、1469〜1527に活躍した、自らを「歴史家、喜劇作家、悲劇作家」と称した、ルネサンス・イタリアの政治思想家でした。1498年に、フィレンツェ共和国第二書記局書記官の道を歩み始め、外交使節として近隣諸国を巡ります。今、話題の映画となっている、「ジャンヌ・ダルク」の没後、60年以上も後のことです。彼の卓抜した能力により、破格の活躍をしましたが、1512年、政権の交替により免職。翌年、反メディチ(メディチは、フィレンツェ市の門閥貴族)の陰謀に加担したとして逮捕されます。その後、フィレンツェ郊外の山荘に隠遁することを余儀なくされ、著作活動に専念しました。

 彼は、生前に「戦略論」を出版します。その後、後世、“危険な古典”と呼ばれるようになった「君主論」「政略論」等の著作は、死後5年目に刊行されました。この“危険な古典”に見られるように、目的のためには手段を選ばない、権力的な統治様式のことを、後に「マキャベリズム」と呼ぶようになりました。訳すと、権謀術数主義を意味します。

 本書は、著者の述べるように、完訳でも要約でも解説でもありません。あくまで抜粋なのです。従って、本書を熟読しても、マキャベリの著作のすべてを網羅したことにはなりません。しかし、マキャベリのエッセンスを簡単に習得するには、もってこいの一冊と言えるでしょう。古典にはなにかと注釈も多く、私達には受け入れにくい形になったものも多い中、本書はそのことを意識して、大変、読みやすい形に仕上がっています。それでは、特に感銘を受けたところを挙げていくことにしましょう。

  • 人は、心中に巣くう嫉妬心によって、誉めるよりもけなすほうを好むものである。それゆえに、新しいやり方や秩序を主張したり導入したりするのは、それをしようとする者にとって、未知の海や陸の探検と同じくらいに危険をともなう事業になる 『政略論』

 当人のいないところでする噂話の殆どは、その人の短所を指摘したり、悪口であることが多く、なかなか、その人を誉めるような話の展開には至りません。これは、私自身、身に覚えのある話であり、恥ずべき行為でもあるので、素直に反省しなければなりません。

 また、私の尊敬する先輩も、これまで誰も考えつくことのなかった仕組みを企画し、そして導入してきました。しかし、全て順風満帆であったわけではありません。周囲からは、反発の声も、多く聞きました。しかし、彼は、幾多の困難を乗り越え、それを実現させ、良い結果を残してきました。何よりも難しいのは、仕組みそのものではなく、周囲に理解してもらうことなのです。

  • 君主は度量の大きな質問者でなくてはならず、他者の意見には、忍耐強く耳をかたむける人でなくてはならない。しかも、助言者たちが胸中にもっている意見を率直に述べないような場合は、不快な態度を示すことさえ必要である 『君主論』

 かつてナポレオンは、こう言い残しています。「私は反対されても腹は立てぬ。それどころかいろいろ教えてもらいたいものだ。大胆に発言して、自分の考えをすっかりさらけ出しなさい」と。そして、「諸君、私は意見を異にするが、多数意見に従おう」と、会議を締めくくることがよくあったそうです。これは、部下や後輩を一人でも持っている方に、是非とも実践してもらいたいことです。

  • 人間の為すあらゆることは、はじめから完全無欠ということはありえない。はじめは、とるに足らない欠陥に思えたものから、時が経つにつれて障害が芽生えてくる 『政略論』

  • 人間の行う行為を見れば、いかに完璧を期そうとも、必ずなにか不都合なことを引きずっているものである。なぜなら長所は必ず、短所をともわないではすまないからだ。それゆえに、どうすれば短所をコントロールするかが、成功不成功の鍵となってくる 『政略論』

  • われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすればより実害が少なくてすむか、ということである。そして、とりうる方策のうち、より害の少ない方策を選んで実行すべきなのだ。なぜなら、この世の中に、完全無欠なことなど一つとしてありえないからである 『政略論』

 転職してしまった今でも尚、尊敬している、ある先輩は、「それが大したトラブルでないとほっておいたら、大変なことになり兼ねない。ダムに小さな穴が開いても、最初は大きな影響はないかもしれないが、やがてはダムそのものを崩壊させることになる」と、私に教えてくれました。

 中国古典「韓非子」には、「蟻の穴から堤も崩れる」という言葉があります。これは、堅固な堤防も、蟻のあけた小さな穴がもとで崩れるように、ごくわずかな手ぬかりから取り返しのつかぬ大事に至るたとえを意味しています。

 このマキャベリの言葉には、二つの解釈ができます。一つは、人間の作ったものである以上、完璧はありえない。思わぬところに欠陥は潜んでいることを心せよ、という意味。もう一つは、当時はその状態でも構わなかったことも、時が経てば、思わぬ障壁として立ちはだかるかもしれない。時の流れや変化に伴い、仕組みも見なおさなければならないことを忘れるな、という意味です。人間の性格そのもの、また、人間の作ったもの全てにあてはまる言葉です。

  • 時代の流れを察知し、それに合うよう脱皮できる能力をもつ人間は、きわめてまれな存在であるのも事実だ。その理由は、次の二つにあると思う。第一は、人は、生来の性格に逆らうようなことは、なかなかできないものである、という理由。第二は、それまでずっとあるやり方で上手くいってきた人に、それとはちがうやり方がこれからは得策だと納得させるのは、至難の業であるという理由。こうして、時代はどんどん移り変わっていくのに、人間のやり方は以前と同じ、という結果になるのである 『政略論』

 「政略論」を刊行してから、460年以上も経った今でも、この言葉には新鮮味を感じます。仕組みにしても、商品にしても、いつまでも長続きはしないという警告として、受け止めなければならないでしょう。

  • 古の歴史家たちは、次のように言っている。人間というものは、恵まれていなければ悩み、恵まれていればいたで退屈する 『政略論』

 これも、一つの真理です。人間は、永久に満足を得ることのできない生物なのかもしれません。私たちはこの警句の長所より、新たな技術や文明を手に入れ、この警句の短所より、尽きることの無い戦争を生み出しています。

  • 運命は、変化するものである。それゆえ人間は、自分流のやり方をつづけても時勢に合っている間はうまくいくが、時代の流れにそわなくなれば失敗するしかない、ということである 『君主論』

  • 好機というものは、すぐさま捕まえないと、逃げ去ってしまうものである 『戦略論』

 この「時勢の変化」に気づくことが出来るか否かが、これから生き残るための大きな分かれ道となるのでしょう。仮に気づいたとしても、他に先を越されてしまえば、より確実な勝利を掴むどころか、失敗に終わる可能性もあります。「後発の強み」は、時と場合によるのです。今、絶好のチャンスであるのにも関わらず、「もう少し待てば、より良い局面になるのではないだろうか?」と、手をこまねいていては、そのチャンスを逸し、二度と手に入らなくなってしまうかもしれません。

  • 軍の指揮官にとって、最も重要な資質はなにかと問われれば、想像力である、と答えよう。この資質の重要性は、なにも軍の指揮官にかぎらない。いかなる職業でも、想像力なしにその道で大成することは不可能だからである 『戦略論』

 私の先輩は、これとまったく同じことを口にします。「システムエンジニアに必要なのは、想像力(創造力)だ」と。これは、まったくその通りであり、付け加えるならば、システムエンジニアに限らず、全業種に当てはまる資質ではないでしょうか?

 最後に、「君主論」はリーダーシップ、「戦略論」「政略論」は、経営のバイブルとして、今でも充分に役立つ古典です。なかには、冷徹ともいえる内容のものもあり、全てをそのままの形で受け入れるには、無理があります。しかし、これを現代的にアレンジし、自己流に置き換えて吸収することは、充分に可能です。物事の本質は、460年以上たった今でも、さして変わっていないことは、本書より明らかです。当レビューでは、抜粋の中の抜粋を紹介したに過ぎませんが、より多くの方に、マキャベリの著作に興味を示されることを、心より願うばかりです。