まえがき


 人は誰でも、思い出として残しておきたい数々の出来事がある。だが、今、それを思い出してみなさいと言われたら、あなたはそのときの感動を呼び戻すことができるだろうか?。例えば、小学校に体験した修学旅行、あなたはどこへ行き、そして何を感じたのだろうか?。残念ながら私は答えられない。そのときに語った「一生の思い出です」は、もう時とともに流れ去ってしまったのだ。

 時間とともに忘れてしまうものは、なにも「思い出」だけではない。それは「教え」も同じことだ。自分の知識として、或いは学校で、家庭で、先輩や後輩、友人など、いろんな人たちから学んだ教えは、とても大切なことばかりなのに、ついうっかりと忘れてしまうことがある。

 私は高校生のとき、あることで父に叱られ、ふと思ったことがあった。「私はこのことで叱られたのは2度目だ。以前にも叱られておきながら、何故、同じ過ちを繰り返したのか?」と。そして、「もしかすると、あの時に父に叱られたことを、教訓としていなかったからではないか」と考えるようになった。

 失敗は誰にでもある。だが、それを2度も3度も繰り返さないために、エッセイとして書き残すことを、そのとき決心した。では、それで同じ過ちを繰り返さずに済んだのかというと、そんな簡単なものではなく、また同じ失敗をしでかす自分が情けなくもあるが、しかし、それが私のエッセイの始まりであったことは確かである。そして、今までの教えを、自らの知識だけとしてでなく、これを読んでくれた人たちに、いつか役立つことを夢みて書き始めた。それがいつしか、知的生活(Intellectual Lifestyle)の本となった。これが、このエッセイの誕生の経緯である。

 次に、このエッセイのタイトルの由来であるが、グーズベリー(gooseberry)とは、7月7日、つまり私の誕生花である。しかしそれだけの理由で、この本のタイトルが決まったわけではない。【イメージ・シンボル事典】(アト・ド・フリース:著、山下主一郎:主幹、大修館書店)によると、グーズベリーには、「太陽・知恵のエンブレム」というイメージがあるのだ。それで私は、見たこともないその植物を気に入ってしまい、とうとうエッセイのタイトルに、その名を使うことを決めたのだ。

 また、この第1版を完成させるにあたって、大変な労力を費やした。96年9月9日には、既にbO30までを書き上げていたのだが、30時間かけて推敲し、10月19日にようやく完成させた。しかし、ここでも納得できず、多くのアドバイザーの協力のもと、更に30時間かけて推敲した。さすがに60時間の推敲は初めての経験だった。

 最後に、この本はエッセイでもあるが、知的生活事典のつもりでもある。従って、時を見ては、何度も改訂することになるので、こればかりはご容赦願いたい。