《1999年10月10日 〜 1999年10月16日》


 体育の日に、礪波市の「夢の平スキー場」へ行ってきました。冬はスキー場となる「夢の平」は、この季節、辺り一面に、コスモスの花を咲かせ、毎年、大勢の観光客で賑わいます。約2ヘクタールの丘に咲き乱れるコスモスの数は、なんと、100万本にもなるそうです。11時頃に現地へ向かったところ、早くも渋滞しており、(駐車場には、約350台までしか駐められません)。一時は、コスモスウォッチングを諦めようかとも考えましたが、今日は、このうえない快晴に恵まれていたこともあり、この日を逃すわけにもいきませんでした。なんとか、駐車場にたどり着き(普通乗用車は、駐車場整理料金として300円)、満開に咲いているコスモスを眺め回りました。それはもう、デジタルカメラの格好の獲物でした。T先輩から借りている、「ソニー Mavica MVC−FD7」は、JPEG画像を、フロッピー媒体に記録するタイプのもので、フロッピー1枚、全部埋まるまで、撮りました。ちなみに、コスモスとは、キク科の多年草で、観賞用として広く栽培されている花です。秋になると、6センチほどの美しい花が咲き、その色は、白、淡紅、深紅色など、様々です。夢の平では、「センセイション」「キバナコスモス」「吹く風」といった種類のコスモスを観賞することが出来ます。また、「コスモス」は「秋桜」とも書きます(当て字)。花言葉は、「乙女の真心」。中でも赤い色のものは「愛情」、白いものは「純潔」「優美」とされています。なお、「夢の平」へのアクセス方法は、礪波インターチェンジより、ガストやアピタのある交差点を右折して、国道156号線を井波方面に向かいます。左手にガソリンスタンドのある交差点を左折して、あとはまっすぐに進み、庄川の橋も渡っていくと、看板が見えてきますので、あとは看板の案内に従っていけば、たどり着きます。ただし、コスモスの見頃は9月中旬頃〜10月下旬頃までとされています。また、会場内には、コスモスを使ったゼリーや紅茶、煎餅まであるそうです(とにかく人がいっぱいだったので、詳しくは確認しておりませんが…)。


 コスモスを観賞した後、礪波市の「さがの」で、昼食にしました。ここは、私のお気に入りの食べ処の一つで、「バターライスのビーフストロガノフ(900円)」が絶品です。辛さとすっぱさが絶妙なので、ここでは、ほとんど、それしか頼みません。場所は、砺波市市役所の横道をまっすぐ進み、城端線の踏切のすぐ傍にあります。


 昼食後、進路を石川県小松市へ。国道8号線を西進し、那谷寺(なたでら)に行ってきました。那谷寺は、白山信仰の寺で、717年に開創された、自然の岩山洞窟を本尊とする、1280年余りの歴史を誇る寺院です。名称の由来は、986年に、西国三十三番札所を開いた花山法皇が訪れ、西国三十三ヶ所第一番である紀伊の那智山と、第三十三番美濃の谷汲山の一字をとって、当時、「自生山 岩屋寺」と名付けられていたこの寺を、「那谷寺」に改めたことに始まります。その後、1338年の南北朝の争い、1474年の一向一揆により、坊舎を焼かれてしまいます。しかし、1640年に、第3代加賀藩主の前田利常公により再建し、境内の一大庭園を復興させます。境内は大変広く(25万平方メートル)、とても1時間では全てを回ることは出来ません。まず、入口より参道を歩き、左手に、「金堂 華王殿」が見えます。そして、ほの暗い参道の両脇には、青苔がびっしりと生え、昔の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を与えます。その参道を進むと、奇岩遊仙境という、太古の噴火の跡とされる奇岩で形成された公園にたどり着きます。もう少し秋も深まれば、紅葉を楽しむことができただけに、少し残念ではありますが、それでも圧巻です。その奇岩遊仙境を横切り、階段を登ったところに本殿が見えてきます。本殿は、岩窟内にあり、ひっそりとしていて、涼しく感じました。本殿を抜け、次に見えてくるのは、三重塔です。その先には、楓月橋があり、その橋を渡ったところに、鎮守堂があります。ここから、先に紹介した奇岩遊仙境を眺望することができます。次に、見えてくるのは、1689年8月5日に、那谷寺を参拝した芭蕉が奥の細道の記に残した名句「石山の 石より白し 秋の風」という句碑です。その先にある階段を登ると、平安時代作の不動明王を安置している「護摩堂」、そして最後に、寛永時代、朝鮮より請来した名鐘を吊るしてある「鐘楼堂」へと続きます。このように境内を内拝するだけでも、大変、いい運動になる位、距離があります。春には桜、椿、つつじの花を咲かせ、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪景と、いつ訪れても、四季折々の風景を演出してくれます。ここでは、フロッピー2枚分にもなる量の写真を撮ったので、「夢の平 コスモスウォッチング」の写真と共に、ホームページに掲載していきたいと考えています。


 中央公論新社より発売されている、茅田砂胡さんの「桐原家の人々」の1巻を読了しました。この作品は、これまでの「デルフィニア戦記」のファンタジーや、「スカーレットウィザード」のSFとは、まったく異なるジャンルで、ホームコメディに属するものです。桐原家一家の特異ともいえる家庭環境、複雑な家系を描いています。私自身、3人も母を変えたり、腹違いの弟がいるなど、複雑な家庭環境の中を育ってきておりますが、この小説を読んでいると、自分はまだ、大したことのないような錯覚に陥ってしまいます。ただ、正直に言いますと、あまり面白いとは感じられませんでした。その理由に、ほんのちょっぴり、ホモっぽいシチュエーションを描いたところが見受けられたからです。どうも、その手の話は苦手で、途中で、読むのを止めようかとも考えました(栗本薫さんの「終わりのないラブソング」は、途中で挫折しました)。でも、後半は、ホームドラマの路線で話は進んでいったので、一応は最後まで目を通しました。…でも、続きが、全然、気にならないのです。さすがに彼女のファンといえど、2巻以降は買わないかもしれません。


 社内の労働組合によって、定期的に発行される、労報1999年10月号(bP74)が、組合員に配布されました。何故、このことをご紹介するかと申しあげますと、「ちょっと気になる・・・」に、私が1ページ、まるごと、取り上げられているからです。これまでのタイトルは、「ちょっと気になるあの子」として、主に女性だけを取り上げてきたのに、これからは男性も取り上げるということで、その第1号として、私に白羽の矢が当たってしまったのです。本当は丁重にお断りしたかったのですが、労働組合教宣部のTさんに説得され、渋々と引き受けました。私は、文章ならば、原稿用紙100枚でも、さしたる苦悩は感じませんが、ただ、写真に写ることだけは、嫌うのです。別に、明治時代のように、撮られると魂を吸い取られるとか、そういうことではありません(古い)。ただでさえ、ださい男なのに、写真の写りもそれ以上に、悪いのです。社会人になってから、自分を写した写真は殆ど無いに等しく、プリクラも1回しか経験したことはありません。従って、この労報の為に、急遽、写真を用意しなくてはならなくなったのです。結局、労報に掲載されている4枚の写真は、「おとぎの森公園」「インターネットカフェ BRITZ」「男女滝」「呉羽レジャーランド」の4ヶ所。過去のダイアリーを読み返していただければ、「このときに写真を撮ったのか」とお分かりいただけると思います。自己PR文を書くのは容易いことでしたが、写真だけは、本当に苦労しました。そのページには、私のホームページも紹介してあるのですが、早速、「キザです」と掲示板に書かれてしまい、本人、まったくそのつもりないだけに、大変なショックを受ける有り様…。賛否両論どころか、否定一論のようです。早く、ほとぼりが冷めるのを待つしかありません。それまでは、会う人会う人に、「労報見たよ」と言われること、必至です(それだけならば、まだ良いのですが…)。


 ファミ通10月29日号を読みました。とうとう待ちに待った、「Formula One 99」の発売に向け、新作ゲームクロスレビューにて、評価されました。40点満点中、28点。殿堂入り(30点以上)は果たせなかったものの、そんなに悪い評価ではありません。「ドライバーは全て実名」、「かなり細かい範囲でセッティングできる」、「各コースのグラフィックも、前作に比べ、格段と美しくなっている」、と批評されていました。ちなみに、10月21日に発売し、定価は5800円です。…でも、当日にこのゲームを買うだけの、金銭的余裕の無い私にとっては、「信長の野望 烈風伝」と同様、お金がたまるまで、ただ我慢するしかありません(泣)。